月別アーカイブ: 2017年4月

ほうきの役割、棲み分けの道具

ほうきで玄関先を掃いているときに、思ったことがあります。
「ほうきは『魔』とか自然界とか、そういう人間世界でないものとの棲み分けをするための道具なのでは」

当時住んでいたアパートでは、玄関側の壁から約1mほどがコンクリートで、
その先は、花壇のような土の地面が約30cmほど、敷地の塀まで設けられていました。

花壇はいつも乾いており、たま~にですが除草剤が撒かれた痕跡もあったので何も植えられず。
風で土が玄関の方へ寄せられるので、定期的に掃き掃除が必要でした。

で、玄関なので、土ぼこりを花壇側へ押しやるようにして掃き掃除をする訳なのですが、
溜まった土や枯葉の中には、ムカデの赤ちゃんやダンゴムシがちらほら。
家に出たらぎょっとする者たちですが、土の方に押しやれば何のことはないただの自然界の生物。

そいつらも、土とまとめて、ほうきで押しやって掃いてしまえば良し。

家の周りを掃かずにいたら、土や枯葉がもっと溜まって、
家に密着した場所に彼らの生態系ができて、侵入のリスクも上がる。
でも、ほうきで掃いて、「君たちの世界はあっちだよ」と誘導すれば、家に入ってくることはまあたぶんない。

完全に家を密閉したり、よそ者を殺して排除したりしなくても、
掃くことで、隔たりを作らずに棲み分けることができるのだ。

境界の道具としてのほうき。

そういえば、『掃除の民俗』という本には、
ほうきは安産の神(ハハキガミ)が宿る道具、葬式で死者が通った後を掃き清める道具としての側面が描かれていました。
生まれてくる場面、死んでいく場所に、ほうきは登場していたのです。

前半紹介した私の体験は物理的な棲み分け、『掃除の民俗』の事例は民俗的な内容ですが、
ほうきは、人間界とそうでないものの世界との、門番のような感じなのかも、と思わずにはいられません。

今日のブログはなんだかまとまりがありませんが、
そんなほうきの役割についても、今後ちゃんと調べてみたいと思います。

掲載されました!

4月22日(土)発行の、茨城県の地域情報誌『常陽リビング』さんで紹介していただきました!
目指せ!ほうき職人!

学生時代、師匠との出会いから、ほうきをやろう!と思うまでの道のりがまとめられています。

しかし、「縁もゆかりも金もない」には思わずニヤリ。
今は、金はなくとも、縁とゆかりにはたくさん恵まれております~

 

木を削る

ちりとり、削りはじめました。

刳りものによる制作ということで、どう量産するか(機械などを駆使して効率良くするか)考えたものの、
なんだかそれは違うのでは?という気持ちに駆られて、結局愚直に削っていくことにしました。

選んだ木材はキハダ。
サクサク気持ち良く削れる樹種です。

削る触感は、樹種によって本当に変わります。

試作で使ったのは硬っっったいサクラで、
削っているときの頭の中は、「硬い!辛い!でも良い形にせねば!どうすればラクに削れるんだ!うぅ辛い!こういう形にしたいのに!」

キハダの場合は、「もう少し深めに削ろうかな。これより薄くしたら脆くなるから、厚みはこれくらいで。それなら角はこういう形が良いな、鑿跡も良い感じに残そう。」

そういった気持ちは出来上がっていく形に現れるもので、
キハダを削った形には、気持ちの余裕が垣間見えます。

樹種により触感が違い、触感が違うから形も変わる。

今回の刳りものちりとりは、削っていくうちに現れてくる形に素直になってみようと思っています。

新年度の始まりに

乙女のつくば道が終わり、春らしいゆったりとした時間を過ごしています。

私事ではありますが、3月いっぱいでメインの勤め(ライスワーク)を止めました。

―700㎡の畑にどれぐらいの労力が必要なのか。
―お天気とうまく付き合って作業できるのか。
そんな心配からの決断です。

なにより、もっともっとほうきが作りたい。
ほうきの形も、作者の姿も、作る時間でしか刻むことができないから。

 

仕事がなくなったことで、一日がこんなに長いものだったのかと、
桜の咲き始めた公園を散歩しながら改めて実感いたしました。

新たに出来た時間を無駄に過ごさないよう気を付けつつ、
今まで仕事に注いできたエネルギーを、これからほうき作りに注いでいきます。

春の憩い 乙女のつくば道 終了!

乙女のつくば道「職人の庭」、昨日今日とでやってきました!

今年の会場も、神郡地区『佐治右衛門邸』のお庭。

普段はゆるやか~な空気の流れる地区なのですが、
イベントでは、竹!布団!ほうき!和裁!の渋い時間が流れていました。

ゆる~いけど、本気な2日間。
お越しいただきました皆さん、ありがとうございました。