考えをめぐらす」カテゴリーアーカイブ

手帳の話/本年もありがとうございました

カゴアミドリ様での「ほうき展」も無事幕を閉じ、
2021年の予定はすべて終了いたしました。

先行きの見えない時代、天候不順も相まって、毎年毎年綱渡り。
そんな中でも、ほうきを作り続けることができているのは、ひとえにご愛用くださる使い手の皆さまのお陰です。
本当にありがとうございます。

作るたびに、少しずつ少しずつもっと上達していって、これからも「使い良い!」と感じていただけるようなほうきを作り続けてまいりたいと思いますので、来年もどうぞよろしくお願いいたします。


大掃除もやっと終わって、年末恒例のこたつワークは、来年の手帳作り。
学生時代は市販のものを購入していましたが、色々試した結果、自分で枠線を引いて作るのに落ち着きました。
今回はコクヨのノート(A5)を利用。最近のはドットが最初からついているので便利です。

なんでわざわざ手書きで枠線を引いているのかというと、見開き左面をカレンダーにして、右側をメモ帳としたいからです。
右側には、夏場は畑に関することを書き、秋~春にかけては、イベントの詳細や各種〆切について記入します。これで忘れっぽい自分でも、必要なことをすぐに思い出すことができます。

カレンダーの方には、日付以外に、
・二十四節気と雑節
・月齢
・一年通して何週目か
を書きこみます。
これを参考に、前年の畑の予定と照らし合わせて、翌年の営農計画を立てるのです。

月齢については、今回初の取り組み。
ジョン・F・エンブリー氏の『須恵村』によると、昔の人は月の満ち欠けに応じて、農業を営んでいたらしいのです。

植物の成長にとってなくてはならないのは日光、ですが、日光を反射している月の光もまた、植物にとって重要な要素。潮の満ち引きもまた然り。
これは取り入れないわけにはいかない、ということで採用することにいたしました。
良い結果につながると良いのですが。

肥料はどうしようか、種まきはいつやろうか。
計画を立てている段階が、一番楽しいものです。

年末所感

今年も残すところあとわずかとなりました。
いつも以上に先行きの見えない年でしたが、たくさんの人たちに支えられて、今年もほうきを作ることができました。
心より御礼申し上げます。

今年は、とにかく草(材料)の不作に悩まされた年でした。
梅雨が長引いたのが主な原因ですが、栽培者としては、どんな気候になっても、その年における最高のポテンシャルを発揮すべきで、天気のせいにしていてはまだまだです。
それに、自分の腕不足が招いた結果と受け止めた方が、来年以降に希望が持てます。

肥料のやり方を変えたのも、敗因の一つだったと思っています。
昨年までは、よく分からないまま、なんとなく堆肥と石灰をやっていました。ところが、同じ場所で栽培しているからか、地力が下がり年々草の勢いは減少傾向。
なので、今年から養分の簡易測定を取り入れて、不足する養分を単肥で施肥するように切り替えました。

そして結果は、見事、玉砕。
初夏までは良かったんです。青々とした葉で、ぐぐーっと伸びる茎。
でも、出穂まで肥料分が持たなかった。
日照不足も合わさって、収量はおよそ3/4に。

しかし、悪いことばかりではありません。
単肥に目を向けたことは、施肥量の計算の仕方や、撒くべきタイミングをきちんと考えるきっかけとなりました。

多分来年は、いける…!

雨降って地固まる、となるよう、来年はより一層栽培に力を入れて、
なるべくたくさんの方へほうきをお届けできるよう頑張ってまいりたいと思います。


今日は大掃除を終えました。
いつも忙しさにかまけてササッと済ましてしまう大掃除ですが、来年の豊作を祈願すべく、本気でやりました。
隅から隅まで片づけて、掃いて、拭いて。

そして、大掃除が終わった証に、しめ飾り。

豊作祈願のために、今年は二回り大きいしめ飾りにしてみました。

土に根差して生きるすべての人たちに、実り多き年がやってくるよう願いを込めて。

やりたいことがやっとわかった

自分のやりたいことって、わかっていてもわからないものです。
なんとなくもや~っと頭や心の中に漂っているのですが、言葉にできるくらい理解することはとても難しい。
それは雲を掴むよう。

過去に歩んだ道や今現状を取り巻く環境、問題意識、等々、いろんなものが絡み合っているから、それを掴むには、ひとつひとつを丁寧に解きほぐしながら理解していくことが必要になります。
そしてやりたいことをシンプルな言葉にできたときこそ、「わかった!」となるのではないでしょうか。

言葉にできたら、「なんだこんなことだったのか」と思います。
それはそう。前から知っていたことなのですから。ただ言葉にできるほどはわかっていなかったというだけで。


私が手仕事においてやりたいこと。それは、

「伝承工芸」

でした。

伝承工芸とは
・民話的なものづくり
・個人から個人へ、世代から世代へバトンタッチされる
・政治的な枠組み(血縁、地域、会社 等)に囚われない
・時代、風土、環境に合わせて柔軟に変化するものである
・変化しながらも残るものこそ、そのものの本質である
・伝達の間で伝えきられなかった部分は、伝承者がその鍛錬を以って補うことができる
・大学のように閉じられていて開かれている
・学問的姿勢を大切にする
・その時代に生きる人々、また次の世代に生きる人々が、背筋を伸ばした幸福を享受することを願う
・ものがすべてを語るくらい、含みを持ったしなやかなものを作る

ひとまず言葉にできたのはここまで。


工芸やクラフト、手仕事についてあれこれもやもやしていたものが晴れた。

わかったからといって実現できたというわけではありません。
何かが変わったというわけでもありません。
作品も、変わっていません。

それは、北極星のような道しるべを、彼方に見つけたに等しいです。

さあ今から、「伝承工芸」に向かって、進んでいきます。

膝、痛い

齢30を目前にして…膝が…痛い…。
気にしなければ忘れられるくらいの軽い痛みではあるのですが、右の膝だけ曲げ伸ばしが億劫になるような鈍い痛みを持つようになってしまいました。

原因は分かっています。あれです。足踏み脱穀機です。
右足だけで踏むから、というか左足で踏むとバランスとれないのでそうするしかないんですが、気付かないうちにダメージを溜め込んでいたみたいです。
足踏み脱穀機、身体に悪い。

昨年ぐらいから身体のセルフケアと趣味を兼ねてはじめた”やいと(もぐさを直接皮膚に乗せて燃やすお灸)”が、こんなときに役立ってくれる。
ツボ押しよりも疲れず、なかなか効いて、コスパ良し。
なにより火をつけるというのが、儀式っぽくて気に入っています。
煙の匂いもいいんですよね。

ひとまずお灸で様子見ながら、ダメだったら鍼をしてもらおう。
脱穀機の電動化も検討です。

人も車も、壊れたまま走らせてはいけません。

2019年はとにかく『作る!!』

怒涛の(実家巡り)正月休みから帰還して、今日から仕事始めとなりました。
遅くなりましたが、皆さまあけましておめでとうございます。

2018年はたくさんの出会いがあり、ほうきと一緒にいろんな場所に行くことができました。
しかし、慣れないことが多くて息切れする瞬間も多く、自分の体力のなさを痛感。

なにより悔やまれるのが、制作をしている時間を増やせなかったこと。

ほうきはひとつひとつに時間がかかる。
だから、作る時間がなにより大切。

職人だからこそ、その本分は作ることにあると思います。

作らないと届けられないし、作らないと上達しないから。

 

2019年は、やりたいこと・やらなきゃならないことを全部やりつつ、
とにかく『作る!!』を目標に走っていきたいと思います。

『作る!!』ために仕事をして、
『作る!!』ためにご飯を食べて、身体を休める。
『作る!!』ために、ときどきあそぶ。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

工房からの風が終わって

工房からの風が終わって、ぼーっと不思議な気持ちに包まれています。

お越しいただきました皆さま、出展者の皆さま、スタッフの皆さま、
素晴らしい時間を共にさせていただき、ありがとうございました。

つくる喜び、素材に向き合う充実感、そこに至るまでの苦労、苦悩。
今年の出展者さんの想いに触れて、あらためて つくるっていいな と思いました。
想いが宿るから。

正直、今年は風人という立場で参加して、
はたしてこの素晴らしい舞台に貢献できるのだろうか?という、
ほんのすこーしだけ淡い不安がありました。

でも、春から手仕事の庭の作業に参加したり、ケミストリーでコラボさせていただいたり、
当日は『素材の学校』で、思う存分ほうきの面白さを子どもたちに伝えて、
今できる形での、やりたいことはできたかなと。

自分はこれからなにをやって、どこにいくのだろう?
工房からの風が終わって、そんな疑問が湧いてきました。

これはきっと次への架け橋でしょうか。
良かったことも、反省点も、全部力に、次に進んでいきたいと思います!

 

↓ほうきを教えるフクシマ(磯さん撮影)。めちゃ笑ってる。

八百屋になれれば

夏は畑、冬は手仕事。ほうき作りってつくづく季節性の仕事だなぁと思います。

そして採れる素材は年によって変わり、できあがる品物もひとつひとつ微妙に違う。

普通の製造業みたいに安定して、寸分違わず同じものをたくさんお届けできないのが、ほうき作りの悩みどころ。
ではあるのですが、安定しないことを良い方向へのエネルギーに変換できないかと、ちょっと考えるようになりました。

たとえば、八百屋さんみたいに。
「今年は白菜がいいねぇ!」「今の時期はソラマメだね!」「めずらしいのが入ったよ!」

その年、その季節、その瞬間の、良いものを届ける仕事ができればいいなぁと思うのです。
八百屋さんってワクワクしませんか?

 

さて、10月以降の予定も、出展情報ページへ更新いたしました。
秋を一気に駆け抜けたいと思います!

2018.10/7(日)つくいち@つくば市中央公園
10~翌年3月まで、出店を再開いたします!
ほうきのオーダー受付も開始。詳しくは店頭まで。

2018.10/13・14(土・日)工房からの風@ニッケコルトンプラザ
今年は風人として関わり、作家同市のコラボ作品展示や、
子ども向けWS「素材の学校」でほうきの時間を担当させていただきます!

2018.11/3・4(土・日)風の余韻@galleryらふと(未確定)
3日のみ参加予定。詳細は後日。

2018.11/18(日)むかし家事教室@熊谷家住宅
江戸時代の暮らしを色濃く残す文化財「熊谷家住宅」にて、
ほうき作りのワークショップをいたします!

風邪をひき、考えた

3年ぶりくらいに、でっかい風邪をひいておりました。
咳が止まらず、夜も寝られず、熱が上がって身体が痛い。ふらふら。ぐるぐる。辛かった。
(なお、インフルエンザではありませんでした。ホッ)

学生時代は病気をしても、ちょうど休みが続くときだったりして、
休みたいときに休めていたから、病気には無頓着でした。

しかし、今はそんな風ではいけません。
若いときみたいに気合で何とか!ともいきません…

今までヘルスケアなんて考えたことはなかったのですが、
これは、やっとかないとまずいのでは!いざというときどうするんだ!
と、先週末痛感しました。

しかし、なにからやっていいのやら。
そもそもわたくし、突発的に何かやるのは得意でも、習慣化というのがとても苦手。

ということで、まずは簡単なことから。

ひとまず歩くことから始めてみることにしました。
歩くのは好きなので。
慣れてきたら、走ります。

何かを始めるには、痛い目見た直後が効くはずです。

畑が始まるまでに体力アップを目指します。

休み上手になりたい

昨日、ついにほうきたちの出穂を確認しました!

顔を出すほうきの穂。今年は上手くできているだろうか。

 

農作業をやる日は、朝7時には作業を始めるようになりました。

まだ本物の農家さんに比べたら遅い方ですが、
収穫作業までには5時作業開始!を目標に、
これからちょっとずつ身体を慣らしていく作戦です。

朝の畑に吹く風は、さわやかで気持ち良くて、
辛いかなと思っていた早起きも、それほど苦ではありませんでした。

でも、相変わらず作業を終える10時ごろには熱中症気味に…。

原因は、水分補給不足と休憩時間の短さ。
分かってはいるのですが、作業に集中すると、ついつい休むのを怠ってしまいます。
特に独りで作業していると。

野良仕事で大事なのは、適度にサボること。
日本の学校教育では、つねに一生懸命さが求められるが、農作業ではそうはいかない。
休んで食べて、無理をしないことが、仕事をちゃんとやるために必要なのだと実感しています。

電動工具には『定格時間』というのが存在します。
『定格時間』とは、その工具を1時間のうちにどれだけ使っていいのかを表すものです。

定格時間30分なら、1時間のうちに連続30分使って、残り30分は休ませなければならないということです。
あるいは、10分使って10分休む、の繰り返し。

人間も、30分動いたら10分休むとか、
きっちり決まった時間を休んで働かないと、機械と同じように壊れてしまう。
実際に体調を崩して、そう実感します。

人間の定格時間は、何分ぐらいなのだろう。
決まっていたら、休憩も取りやすいのになぁ。

 

ほうきの役割、棲み分けの道具

ほうきで玄関先を掃いているときに、思ったことがあります。
「ほうきは『魔』とか自然界とか、そういう人間世界でないものとの棲み分けをするための道具なのでは」

当時住んでいたアパートでは、玄関側の壁から約1mほどがコンクリートで、
その先は、花壇のような土の地面が約30cmほど、敷地の塀まで設けられていました。

花壇はいつも乾いており、たま~にですが除草剤が撒かれた痕跡もあったので何も植えられず。
風で土が玄関の方へ寄せられるので、定期的に掃き掃除が必要でした。

で、玄関なので、土ぼこりを花壇側へ押しやるようにして掃き掃除をする訳なのですが、
溜まった土や枯葉の中には、ムカデの赤ちゃんやダンゴムシがちらほら。
家に出たらぎょっとする者たちですが、土の方に押しやれば何のことはないただの自然界の生物。

そいつらも、土とまとめて、ほうきで押しやって掃いてしまえば良し。

家の周りを掃かずにいたら、土や枯葉がもっと溜まって、
家に密着した場所に彼らの生態系ができて、侵入のリスクも上がる。
でも、ほうきで掃いて、「君たちの世界はあっちだよ」と誘導すれば、家に入ってくることはまあたぶんない。

完全に家を密閉したり、よそ者を殺して排除したりしなくても、
掃くことで、隔たりを作らずに棲み分けることができるのだ。

境界の道具としてのほうき。

そういえば、『掃除の民俗』という本には、
ほうきは安産の神(ハハキガミ)が宿る道具、葬式で死者が通った後を掃き清める道具としての側面が描かれていました。
生まれてくる場面、死んでいく場所に、ほうきは登場していたのです。

前半紹介した私の体験は物理的な棲み分け、『掃除の民俗』の事例は民俗的な内容ですが、
ほうきは、人間界とそうでないものの世界との、門番のような感じなのかも、と思わずにはいられません。

今日のブログはなんだかまとまりがありませんが、
そんなほうきの役割についても、今後ちゃんと調べてみたいと思います。